【本】これからの「正義」の話をしよう〜学びの場の意味をかんがえる〜
数年前に話題になり、読んでなるほどと思ったTwitter の投稿がある。
“勉強をなぜするのか親に訊いたときに、コップを指して「国語なら『透明なコップに入った濁ったお茶』、算数なら『200mlのコップに半分以下残っているお茶』、社会なら『中国産のコップに入った静岡産のお茶』と色々な視点が持てる。多様な視点や価値観は心を自由にする」というようなことを返された。”
今回手にしたこの本を読みながら、上記の投稿を思い出した。
この本の著者はハーバード大学で”Justice”という政治哲学の大人気講義を担当するマイケル・サンデル教授である。
そもそも大学とは、何故行くのか?
もしそう聞かれたら私は、物事を自分の頭で考える経験を積むため、そして物事を自分の頭で考える為の「無駄な時間」を作るために行くのだと答える。
生きるために、技術を得るために、そして働くために学ぶのであればすぐに現場で経験を積むのが一番だ。
寿司職人になりたいなら、おそらく大学に行くのは時間の無駄だろう。
わざわざ時間をかけて大学で学ぶのは、自分の価値観、経験値、知識を超えた問題に突き当たった時、自分で答えを出すというのはどういうことなのかを学ぶためだと思う。
さらに言えば、答えは1つではないということをおそろしく時間をかけて学ぶためだ。
そしてそれは、ものすごく意味があるかもしれないし、ものすごく無駄なのかもしれないが、少なくとも私は、意味があることだと思う。
この本の原題は”Justice -What’s the Right Thing to Do?”である。
(邦題の副題「いまを生き延びる為の哲学」は本の説明としては的確だけど正直いまいち…よくある事だけど)
この原題の問い「Right Thing」の答えは1つではない。
著者サンデル教授も、それを分かっていてさまざまな具体例や過去の哲学者の考えを紹介しながら問いかけている。
高校まで明確な目標と答えに到達し続けてきた若い学生たちがこれらの問いを突きつけられ頭に汗をかく姿を想像すると、若さって素晴らしい、若い時に学ぶって素晴らしいと羨ましく思ってしまう。
もちろん、講義で繰り広げられる机上の空論だけでなく、現実世界で大いに揉まれてほしいとも思うが、複雑すぎる現代社会の荒波に漕ぎ出す前に、こうした答えのない問いにとことん向き合い価値観を揺さぶられる経験というのは、可能であれば大金を払ってでも、多少の睡眠時間を削ってでも、二十歳前後に体験するべきだとつくづく思う。
特に興味深いのは第6章の「平等をめぐる議論」である。
アメリカの政治哲学者ジョン・ロールズは自身が提唱する「格差原理」の中で「生まれ持った才能は本人が自力で勝ち取ったものではない」と謳い、才能を開花させる努力はどうなのかという問いにさえも「一般的な意味での報酬を得るために努力し、挑戦しようとする姿勢でさえ、幸福な家庭と社会環境に依存する」という見解を示す。
サンデル教授がハーバード大学でこの見解を紹介すると、多くの学生が憤然として反論するという。
その光景を想像するだけで笑みがこぼれてきそう。
これまで誰より努力してきた若者たちだもの、そりゃあ反発するだろう。でも、私は密かに「努力とは誰もが得られるものではない才能である」と思っているので、ロールズ氏の見解に思わず膝を打ったのだった。
才能溢れる学生たちの思考にこうして一石が投じられ、それが学生たちにとって多様で思い通りにいかない現代を生き、社会を変えていく存在になるための思考力と行動力への養分となることの意義深さにワクワクするのだ。
いまを生きる為に避けて通れない社会の歪み、例えば人種差別、ジェンダー問題、リプロダクティブヘルス、貧困…こうした問題は当事者だけでは解決できない。大学生のうちに、答えのない問いにひたすら向き合い頭に汗をかくべき若者に、また人生のいかなる点に立っていても思考停止したくない人に本書を贈りたい。
東大入学式での上野千鶴子氏のスピーチを思い出す。
「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。」
“勉強をなぜするのか親に訊いたときに、コップを指して「国語なら『透明なコップに入った濁ったお茶』、算数なら『200mlのコップに半分以下残っているお茶』、社会なら『中国産のコップに入った静岡産のお茶』と色々な視点が持てる。多様な視点や価値観は心を自由にする」というようなことを返された。”
今回手にしたこの本を読みながら、上記の投稿を思い出した。
この本の著者はハーバード大学で”Justice”という政治哲学の大人気講義を担当するマイケル・サンデル教授である。
そもそも大学とは、何故行くのか?
もしそう聞かれたら私は、物事を自分の頭で考える経験を積むため、そして物事を自分の頭で考える為の「無駄な時間」を作るために行くのだと答える。
生きるために、技術を得るために、そして働くために学ぶのであればすぐに現場で経験を積むのが一番だ。
寿司職人になりたいなら、おそらく大学に行くのは時間の無駄だろう。
わざわざ時間をかけて大学で学ぶのは、自分の価値観、経験値、知識を超えた問題に突き当たった時、自分で答えを出すというのはどういうことなのかを学ぶためだと思う。
さらに言えば、答えは1つではないということをおそろしく時間をかけて学ぶためだ。
そしてそれは、ものすごく意味があるかもしれないし、ものすごく無駄なのかもしれないが、少なくとも私は、意味があることだと思う。
この本の原題は”Justice -What’s the Right Thing to Do?”である。
(邦題の副題「いまを生き延びる為の哲学」は本の説明としては的確だけど正直いまいち…よくある事だけど)
この原題の問い「Right Thing」の答えは1つではない。
著者サンデル教授も、それを分かっていてさまざまな具体例や過去の哲学者の考えを紹介しながら問いかけている。
高校まで明確な目標と答えに到達し続けてきた若い学生たちがこれらの問いを突きつけられ頭に汗をかく姿を想像すると、若さって素晴らしい、若い時に学ぶって素晴らしいと羨ましく思ってしまう。
もちろん、講義で繰り広げられる机上の空論だけでなく、現実世界で大いに揉まれてほしいとも思うが、複雑すぎる現代社会の荒波に漕ぎ出す前に、こうした答えのない問いにとことん向き合い価値観を揺さぶられる経験というのは、可能であれば大金を払ってでも、多少の睡眠時間を削ってでも、二十歳前後に体験するべきだとつくづく思う。
特に興味深いのは第6章の「平等をめぐる議論」である。
アメリカの政治哲学者ジョン・ロールズは自身が提唱する「格差原理」の中で「生まれ持った才能は本人が自力で勝ち取ったものではない」と謳い、才能を開花させる努力はどうなのかという問いにさえも「一般的な意味での報酬を得るために努力し、挑戦しようとする姿勢でさえ、幸福な家庭と社会環境に依存する」という見解を示す。
サンデル教授がハーバード大学でこの見解を紹介すると、多くの学生が憤然として反論するという。
その光景を想像するだけで笑みがこぼれてきそう。
これまで誰より努力してきた若者たちだもの、そりゃあ反発するだろう。でも、私は密かに「努力とは誰もが得られるものではない才能である」と思っているので、ロールズ氏の見解に思わず膝を打ったのだった。
才能溢れる学生たちの思考にこうして一石が投じられ、それが学生たちにとって多様で思い通りにいかない現代を生き、社会を変えていく存在になるための思考力と行動力への養分となることの意義深さにワクワクするのだ。
いまを生きる為に避けて通れない社会の歪み、例えば人種差別、ジェンダー問題、リプロダクティブヘルス、貧困…こうした問題は当事者だけでは解決できない。大学生のうちに、答えのない問いにひたすら向き合い頭に汗をかくべき若者に、また人生のいかなる点に立っていても思考停止したくない人に本書を贈りたい。
東大入学式での上野千鶴子氏のスピーチを思い出す。
「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。」
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