【本】ボクはやっと認知症のことがわかった〜昨日から今日へと人生はつづく〜

 この本の副題は「自らも認知症になった専門医が日本人に伝えたい遺言」。

認知症の権威と呼ばれ、現在認知症を測定するのに広く使われている「長谷川式スケール」開発者でもある長谷川和夫医師が、自らが認知症を発症してからの記録や現在の医療への提言をまとめた一冊である。


この本を選んだ理由

親や自分の老後に備え認知症や介護のことも少しづつ学んでいく必要があるのではと思っていた矢先に偶然出会った本書を手にとった。

自分もケアする立場にもされる立場にもなりうるので、介護や医療など「ケアする」立場からの一方的な目線ではなく、ケアする側からされる側になったという双方の立場の当事者である筆者の視点からの言葉にとても興味が湧いた。

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引用「なぜ公表したのですか?」という質問もよく受けます。

それはやはり、認知症についての正確な知識をみなさんにもっていただきたかったから。認知症の人は、悲しく、苦しく、もどかしい思いを抱えて毎日を生きているわけですから、認知症の人への接し方をみなさんに知っておいてほしかったのです。付け加えて言えば、認知症を理解して支える存在や、その仕組みが絶対に必要だと思ったからです。

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私が子供の頃は認知症という言葉もなく、「痴呆」「ぼけ」と呼ばれており、「ぼけ老人」などの表現に代表されるような、よりネガティブな度合いが強かったと思う。筆者のような権威とも呼ばれた方が認知症になるというのは大きな葛藤もあったのではないかと思うが、それをあえて公表し、今後認知症と共存する患者や家族、研究者のために貢献したいという姿勢と勇気にも大変感銘を受けた。


認知症について知る

そもそも認知症とはどんなものなのか。医学的に言えば脳の神経細胞と神経細胞同士の繋がりが働かなくなり、認知機能が低下するという器質的な障害があり、さらにそれが引き金となって感情や行動の面でさまざまな変化が見られるという特徴がある。それをふまえて長谷川医師の見解としては、「認知症の本質は『いままでの暮らしができなくなること』」だと言う。暮らしとは文字通り朝起きて、ご飯を食べて、出かけて、家事をして…といったことだ。それまで当たり前にできていたことがうまくできなくなる。それを周囲が理解し、いままでどおりの生活がなるべくできるように支えてあげることが大事だと述べている。

認知症といえば「アルツハイマー」が有名だが、「アルツハイマー型」以外にも筆者が発症した80代など高齢期になってから現れやすく、より進行が穏やかな「嗜銀顆粒性認知症」もあるそうだ。

また、認知症までいかないが物忘れや理解力が低下したMCI(軽度認知障害)という症状にあてはまる人もいる。2012年時点で認知症の高齢者462万人に対しMCIの人は400万人いるそうだ。そして認知症の危険因子は予想通り加齢で、70代前半で有病率3%なのが80代後半で40%を越え、90代以上で60%を超える。

認知症になった人と向き合うとき大切なこと

長谷川医師は、かつて「Person Centerd Care」という考え方に出会い、この考えを広めたいと活動してきたことと、自身の発症経験から、認知症になった方と向き合うときに「相手の言うことをよく聞いてほしい」「役割を奪わない」「笑いを大切に」「一人ひとりを尊重して」などを心がけてほしいという。

また大事なこととして「騙さない」ということも挙げている。認知症だからわからないなどということはなく、なにかおかしい、尊厳をもって扱われていないということは、認知症になってからもわかるそうだ。

またデイサービスなどの介護を経験したことからこのような外部のサポートを積極的に活用してほしいと患者にも伝えているという。介護を一手に背負い疲弊してしまっている家族も今の日本には多いだろうと思う。筆者のような専門医、かつ当事者からのこうしたアドバイスは介護する家族にとっても助けになるだろうと思う。

第5章では認知症を測定する長谷川式スケール開発の過程を語っている。
東京都から「家庭にどれぐらい認知症の高齢者がいるか調べてほしい」と言われたのは1973年。その前年に小説『恍惚の人』が世間を賑わしていたそうだ。

600人以上の認知症患者とその家庭を目にした当時、認知症だからと納屋に隔離されていたりと不当な扱いを受けていた人も多かったとのこと。あまり記憶になかったが「認知症」という言葉ができたのは2004年だったそうだ。それまで、とくに1980年代頃までは認知症患者をかかえた家族は本当に大変だっただろうと筆者も振り返っている。

昨日から今日へと自分自身は続いている

現在の筆者は、午前中はある程度調子がよいが午後から夕方に近づくと頭が疲れてもやもやしてくるという。行ったことを忘れたり、意図していないことを話してしまうそうだ。映画や本や芸術など、美しいものや言葉にも触れ、妻や子どもたちのサポートにより穏やかに、人間らしく生活されている様子が伺える。本書を共著という形でサポートしている猪熊氏も、「この暖かな家庭環境が、長谷川さんの認知症の「遅い進行」におおいに影響しているのではないかと感じている」と述べている。

それに加えて、Person Centerd Careにも通じる、筆者の「自分らしく生きたい」という信念も健やかな生活をおくる上で大切なのだろうと思う。若い頃仕事や育児に全てを捧げて自分を犠牲にしてきてしまったら、もし認知症になったときにどうやって病に負けず自分らしく生きていけばよいかわからないのではないかと想像する。

猪熊氏が長谷川医師を取材している中でハッとした言葉として以下を紹介している。

「認知症になったからといって、人が急に変わるわけではない。自分が住んでいる世界は昔もいまも連続しているし、昨日から今日へと自分自身は続いている」

これは認知症になるならないに限らず、誰のどんな人生にもあてはまるのではないかと改めて感じた。


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